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社会思想社刊
《第五回イーハトーブ賞受賞》 『宮澤賢治をめぐる冒険』 −水や光や風のエコロジー− 高木仁三郎著 高頭祥八・絵 |
「猫の事務所」の構想から、賢治の自然イメージを解読。 生誕百年に世に送るまったく新しい賢治の発見。 第1話 賢治をめぐる水の世界 第2話 科学者としての賢治 第3話 「雨ニモマケズ」と私 あとがき |
小B6判上製 160頁 本体価格1200円 ISBN4-390-60389-2 1995年4月発行 |
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毎日新聞2000年11月18日朝刊『悼』より 宮沢賢治の精神を実践 元原子力資料情報室代表 高木 仁三郎さん―――10月8日死去 62歳 高木さんは宮沢賢治をよく読んでおられた。それは、私と同様に一人の科学者としての読み方でもあったが、高木さんの場合は「今、私たちはどこにいるか」と、現代社会と自らに厳しく問うものであった。 高木さんは著書「宮澤賢治をめぐる冒険――水や光や風のエコロジー」の中で、「雨ニモマケズ」が心によみがえってくるのだとも言われた。そして「サムサノナツハオロオロアルキ」と書いた賢治に思いをはせながら、自分も「常にオロオロして涙を流すところから科学者を始めよう。涙を流すことは断じて敗北ではない」と書いたのだった。 高木さんが95年に宮沢賢治学会・イーハトーブセンター(岩手県花巻市)からイーハトーフ賞を受けた理由もそこにつながる。イーハトーブとは賢治の造語であるが、彼の生きた故郷農村を理想化して命名したのだった。そういう賢治の精神を実践的に継承する活動に対して、この賞が贈られるのである。 高木さんには大きな夢があった。それは、プルトニウム利用計画が想像を絶する危険をはらみ、さらに核兵器とも切りはなせない関係にあることから、これにストップをかけること。これによって人間が巨大な呪縛を断ちきり新しい市民の科学を回復することというものであった。その活動は原子力資料情報室を中心として行われたが、それは文字通り市民の眼であり、手であり、足であった。 こうして「もう一つのノーベル賞」といわれるライト・ライブリフッド賞(スウェーデン)の受賞ともなったのである。その授賞理由には「プルトニウムの比類のない危険性に対するたたかい」が「多くの人々の挑戦を可能にした」ことがあげられたが、「高木と原子力資料情報室は、公衆の良心となり、信頼すべき科学者たちであった」とたたえられたことは、国際的な評価であっただけにとりわけ感銘深いものであった。 亡くなる前、高木さんは病状が良くないのに、なお病床で活動を続けようとしていると聞いた。その姿は賢治の著作で高木さんがとりわけ興味を持たれていた「グスコーブドリの伝記」に出てくる科学者の姿と重なる。ちょうど宮沢賢治学会・イーハトーブセンターの年次総会と研究発表会が行われていたので、私たちは、高木さんの活動に感謝し、快癒の願いをこめて会場から病床に届けとばかり声援の拍手を送った。満場の拍手であった。氏は希望を失わない人であった。今でも高木さんの声が聞こえてくるような気がする。人間と自然との共生という確かな歩みの1ページとして「プルトニウムの長い物語の最終章は市民の手によって書かれねばならない」と。 (宮沢賢治イーハトーブ館前館長、物理学者・斎藤文一) |
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