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現代教養文庫
『菜園家族レボリューション』
 小貫雅男 著
『菜園家族レボリューション』カバー
米国型「拡大系社会」からCFP複合社会
巨大化の道の弊害と行詰まりが浮彫りになった今、その評価を問い小経営の持つ優れた側面を再考する。

 今、深刻な不況と実に暗い閉塞(へいそく)状況の中にありながらも、耳を澄ませ聞き入る心の余裕があるならば、はるか遠い地平から幽(かす)かな響きではありますが、今までにはなかった未来への確かな足取りとうねりが感じとれるからなのです。そして、そのうねりの正体は、何よりも人々のひたむきな姿勢そのものであり、人間の尊厳を希求してやまない魂の叫びでもあるように思えるのです。人間を大地から引き離し、虚構の世界へと益益追いやる市場競争至上主義の“拡大経済”に、果して未来はあるのでしょうか。ここに提起する“大地に生きる”人間復活の唯一残されたこの道に、“菜園家族レボリューション”の思いを込めたいと思います。

 悠久の時空の中
  人は大地に生まれ
      育ち
    大地に帰ってゆく
ISBN4-390-11645-2 本体価格560円
208頁 2001年11月発行

※ CFP複合社会
 この社会は大きく三つのセクターから成り立つ複合社会であるということです。その三つのセクターのうちの一つは、極めて厳格に規制され、調整された資本主義セクターであり、二つ目は、週休五日制による“三世代「菜園家族」”を主体に、その他の自営業を含む、家族小経営セクターということになります。
 そして、三つ目は、国の行政官庁や都道府県・市町村の行政官庁や教育・医療・社会福祉などの国公立機関、あるいはその他の公共性の高い事業機関からなる公共的セクターです。
 最初の資本主義セクターをセクター(Capitalism)、次の家族小経営セクターをセクター(Family)、そして三つ目の公共的セクターをセクター(Public)とすると、ここで提起されるところのこの新しい複合社会は、より正確に規定すれば、「菜園家族」を基調とする“CFPの複合社会”と言うことができます。さて、セクターFの主要な構成要素である「菜園家族」にとっては、自然の四季の変化に応じて巡る生産と生活の循環が、“いのち”です。ですから、「菜園家族」は、この生産と生活の循環を持続させるということが、何よりも大切になり、それにふさわしい生産用具と生活用具を備えなければなりません。

 目 次
 プロローグ
第一章 閉塞の時代――「競争」の果てに
 1 「拡大系の社会」と閉塞状況
 2 市場原理と家族
 3 「虚構の世界」
 4 生きる原型

第二章 「菜園家族」の構想――週休五日制による
 1 三世代「菜園家族」
 2 新しいタイプの“複合社会”
 3 「菜園家族」の可能性
 4 主体性の回復と倫理
 5 予想される困難
 6 家族小経営の生命力

第三章 大地に明日を描く
 1 ふるさと――土の匂い、人の温もり
 2 “心が育つ”
 3 理想を地でゆく
 4 家族小経営の歴史性

第四章 ふたたび「菜園家族」構想について
 1 二一世紀、人間復活の時代
   『四季・遊牧』の現代性
   問題は根深い
   大地に明日を描く
 2 閉塞からの脱出
   危機の中のジレンマ
   誤りなき時代認識を
   「構想」の可能性と実効性
   誰のための、誰による改革なのか
   グローバリゼーション下の選択
   二一世紀の“暮らしのかたち”を求めて
 3 里山研究庵

補章 『四季・遊牧――ツェルゲルの人々』をめぐって
 1 『四季・遊牧――ツェルゲルの人々』について
   作品のあらすじと構成(伊藤恵子)
   解説――独自の世界にひたる
 2 新しい鑑賞スタイルの創造をめざして
   “お弁当二つの上映会”
   『四季・山村――朽木谷の人々』の制作
 3 辺境からの視点
   異郷の涙
   究極のアウトドア
   いのちの初夜
   どぜう
   北国の春
   早春の賦

 エピローグ
  文庫版へのあとがき
  解説(伊藤恵子)

ツェンゲルさんとその家族
ツェンゲルさんとその家族
ゴビ・アルタイ山中の村ツェルゲルの遊牧民ツェンゲルさんは、「民主化」以前から、過酷な自然とたたかいながら、ヤギを放牧して家族を支え、仲間とともに
「地域」に根ざした共同体の再生を模索してきた。


山岳・砂漠の村、ツェルゲルにある冬営地
山岳・砂漠の村、ツェルゲルにある冬営地
ツェンゲルさんとその弟フレルさんの家族とともに、調査隊員5名は、越冬することになった。

 プロローグ
 モンゴル遊牧社会の研究をはじめてから、いつのまにか長い歳月が過ぎてしまいました。その間、草原や山岳・砂漠の遊牧民家族と共に生活し、一年あるいは二年という長期の住込み調査や、短期のフィールド調査をまじえながら、日本とモンゴルの間を何回も行き来することになりました。
 ここに提起される日本社会についての未来構想は、この両極を行き来しながら、風土も暮らしも価値観も、日本とは対極にあるモンゴルから日本を見る視点、そして、そこから生ずる何とも言いようのない不協和音を絶えず気にしつつ、長年考えてきたことが下敷きになっているのかもしれません。
 モンゴルの遊牧民からすれば、日本は「輸入してまで食べ残す不思議な国ニッポン」に映ることでしょう。本当は憤りさえ覚えているのかもしれません。高飛車に「あんたたちは、経済というものを分かっちゃいないんだよね」などと言って、世事に擦れた感覚に、薄汚れた常識を振り回し、せせら笑ってすませる場合ではないのです。
 話は前後しますが、こうした日本とモンゴルの間の長年の行き来の中でも、とくに一九九二年秋からの一年間、山岳・砂漠の村ツェルゲルでの生活は、日本社会のこの未来構想を考える上で、貴重な体験になっています。
 一九八九年のベルリンの壁の崩壊、それにつづく民主化の波は、内陸アジアの奥地モンゴルの遊牧地域にも押し寄せてきました。遊牧の集団化経営ネグデル(旧ソ連のコルホーズを模倣してつくられた組織)の破綻(はたん)の中から、伝統的遊牧共同体の再生への動きがはじまります。この中で、遊牧民たちは新たに降りかかってくる市場経済に対抗して、自らの暮らしを守るために新たなる“共同”への模索をはじめるのです。……
東ボグド山頂 標高3590メートルに迫る夏営地
東ボグド山頂 標高3590メートルに迫る夏営地

念願の分校開校式
念願の分校開校式
山岳・砂漠の小さな分校。決して立派とはいえないが、集まった子供たちや父母たちの喜びは大きい。

文庫版へのあとがき
……“菜園家族レボリューション”。これを文字どおりに解釈すれば、菜園家族が主体となる革命のことを意味しているのかもしれません。しかし、“レボリューション”には、自然と人間界を貫く、もっと深遠な哲理が秘められているように思えるのです。それは、もともと、旋回であり、回転でありますが、天体の公転でもあり、季節の循環でもあるのです。そして何よりも、原点への回帰を想起させるに足る、壮大な動きが感じとれるのです。イエス・キリストにせよ、ブッダにせよ、わが国近世の希有な思想家安藤昌益にせよ、あるいはルネサンスやフランス革命にしても、レボリューションの名に値するものは、現状の否定による、原初への回帰の情熱によって突き動かされたものなのです。現状の否定による、より高次な段階への止揚(アウフヘーベン)と回帰。それはまさに、「否定の否定」の弁証法なのです。現代工業社会の廃墟の中から、それ自身の否定によって、田園の牧歌的情景への回帰と人間復活の夢を、この“菜園家族レボリューション”に託して、結びにかえたいと思います。……
甘酸っぱく、口の中でとろけるような純白の生チーズ・アーロール
甘酸っぱく、口の中でとろけるような純白の生チーズ・アーロール

著者略歴
小貫雅男
1935年中国東北(旧満州),内モンゴル・ホルチン左翼中旗・鄭家屯生まれ。1963年大阪外国語大学モンゴル語学科卒,65年京都大学大学院文学研究科修士課程修了。大阪外国語大学教授を経て,現在,滋賀県立大学人間文化学部教授。著書に『遊牧社会の現代』(青木書店),『モンゴル現代史』(山川出版社),『異文化体験のすすめ』(共著,大阪書籍),『騎馬民族の謎』(共著,学生社),『モンゴル史像の再構成』(モンゴル語版,高槻文庫),『遊牧社会――現在と未来の相克の中で』(モンゴル語版,高槻文庫)など,映像作品に『四季・遊牧――ツェルゲルの人々』(大日)がある。

晩秋の移動
晩秋の移動
高山での短い夏を愉しんだツェルゲルの人々も、山をくだり、次の営地へと急ぐ。また長い冬がめぐってくる。

 本書に対してうれしい便りがとどきました。岡山県の山田養蜂場代表・山田英生様からのメッセージです。そのお便りは冒頭、こう始められます。
「17年前にサラリーマンをやめて、都会からふる里鏡野町に帰って来たのは養蜂業という農業を行うためでした。ところが当時、農業の経営環境はすでに厳しく、農業者でありながら、次第に『小売り』に力を入れざるを得ない状況となっていました。『小売り』を始めて、流通経済社会のことを学ぶ程に、又自社の企業化が進めば進む程に、ある矛盾を強く感じるようになりました。
 農業は本来『いのち』のもとになる『食』を生産するという人類にとってかけがえのない職業です。そして、農業者が生産した『食』は、昔は生産現場が見えるような近いところで消費者の手に渡り、人々はその『食』の正体が他の生命であることに感謝しながら食べて『いのち』としていました……」
 そして、本書は、日頃から感じている問題意識と重なるものがある、と激賞くださり、新聞紙上にて著者小貫雅男先生と山田様の対談をメッセージ広告として掲載していただきました。1999年8月3日(はちみつのひ)にも、 『食う。』の著者で「百姓」を自称される田中佳宏様とも同様の対談をなさってくださいました。
 山田養蜂場は、文化セミナーやエコスクールなどの企業メセナにも力を入れられ、そのホームページは自然環境を軸とした文明論議の場として刺激に富んだものとなっています。読者のみなさまにも一度、訪問されることをお薦めいたします。 「山田養蜂場」

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