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現代教養文庫
『良寛さん』
 画と文 植野明磧
『良寛さん』カバー 今の時代に贈る 次の時代に贈る「良寛絵本」
心温まる笑いを万人に与える。

この良寛和尚の逸話集が、お互いの生活のなかに、いくらかでも、人間らしい本当の笑いを、人間にふさわしい笑いを呼び返せ、お互いの心を温め、お互いの心を豊かにする奇縁ともなってくれるなら、私の喜びは、これに過ぎるものがありません。 (植野明磧)


ISBN4-390-11642-8 本体価格680円
256頁 2001年06月発行

子供と遊ぶ良寛さん 目次
花びらを拾う
ひとの習い残しを習う
かくれんぼ
涙のわらじ
忘れっぽい良寛さん
銭を拾う
人を拝む
月の兎
障子に書く
川に落ちる
馬鹿正直
馬子と良寛さん
賢愚を超える
良寛禅師戒語
喜びも悲しみも
『し』の字
自然と語る
清 貧
賭け碁
お布施の催促
柿もぎ
しらみと遊ぶ
字を書かぬ良寛さん
手まりつき
良寛さま、一かーん
愛の行者
月と泥棒
何でも食う
勘当された周蔵
百まで生きる法
床屋と良寛さん
貞心尼の訪れ
良寛さんの死

良寛さんの生涯
良寛さんを求めて


 良寛禅師戒語
 解良栄重(けらよししげ)が、その記録、『良寛禅師奇話』のなかで、「師、余が家に信宿(しんしゅく)日を重ぬ。上下おのずから和睦(わぼく)し、和気家に充ち、帰り去るといえども、数日のうち人自ら和す。師と語ること一たびすれば、胸襟(きょうきん)清きを覚ゆ。師、更に内外の経文を説き、善を勧むるにあらず。或(あるい)は厨下(ちゅうか)に火を焚(た)き、或は正堂(せいどう)(奥座敷)に坐禅す。その話詩文にわたらず、道義に及ばず、優游(ゆうゆう)として名伏すべきなし。唯(ただ)、道義の人を化するのみ」と言っているように、良寛さんは、人に説教をしたり、悟りめいた話や、道徳を口にするのが嫌いでした。けれども、ひとから頼まれて気が向けば、紙に書いて与えることがありました。
 それらの遺墨のうち、「言葉についての戒しめ」として、次のように書いています。
一、ことばの多き。
一、はなしの長き。
一、問わずがたり。

一、てがらばなし。
一、じまんばなし。
一、おのが氏素姓の高さを、人に語る。

一、人のもの言いきらぬうちに、もの言う。
一、さしで口。
一、人の話のじゃまをする。

一、ことばのたがう。
一、たやすく約束する。
一、人に物くれぬさきに、何々やろうという。
一、くれてのち、人に語る。

一、よく心得ぬことを、人に救うる。
一、おしはかりのことを、真実になして言う。
一、よく、ものの講釈をしたがる。

一、憂いある人の傍らに、歌うたう。
一、寝つかぬ人のかたわらに、話する。
一、しめやかなる座にて、心なくもの言う。

一、人のかくすことを、あからさまに言う。
一、人の悪しきことを、喜んで言う。
一、口を耳につけて、ささやく。

一、人のことわりを聞きとらずして、おのがことを言い通す。
一、悪しきと知りながら、言い通す。
一、まけおしみ。
一、さしてもなきことを論ずる。
一、人のことをよく聞かずして答える。
一、へつらうこと。
一、心にもなきことを言う。

一、あなどること。
一、いやしき人を、かろしめる。
一、おろかな人を、あなどる。
一、下僕をつかうに、言葉のあらき。
一、はなであしらう。

一、口をすぼめて、もの言う。
一、顔を見つめて、ものいう。
一、首をねじりて、理屈いう。

一、このんで唐(から)言葉をつかう。
一、田舎者の江戸ことば。
一、都(みやこ)言葉などをおぼえ、したりがおに言う。

一、人のいやがるおどけ。
一、いやしきおどけ。

一、悟りくさき話。
一、学者くさきはなし。
一、茶人くさきはなし。
一、風雅くさきはなし。

一、酒に酔いてことわり(理屈)いう。
一、酔える人にことわりいう。
一、あくびとともに念仏。
 良寛さんの書いていることは、いずれも極めて平凡で常識的なことばかりです。ところが、よく味わってみると、その一つ一つが、ほほえましく、しかも厳しく、私たちに語りかけてくるような気がしてなりません。
 良寛さんは、宗祖道元(どうげん)の「愛語」を肝に銘じて、実践に努めました。したがって、これらの戒語は、他人に向かって発せられたものでなく、自らに言い聞かせたものだったのです。それだからこそ、逆に私たちが戒しめられるのでありましょう。


良寛さんを求めて
……このように、無明(むみょう)をさまよう小羊にも似たわたしに、偶然ひと筋の光明を投げかけてくれた人、それが良寛和尚だったのです。相馬御風(そうまぎょふう)氏その他の、良寛和尚に関する書物のおかげです。わたしは良寛さんから、「教えるというのは、子どもから学ぶことなのだ」ということを教えられたのです。これまでのわたしは、意気のみ盛んで、子どもたちとは余りにも遠い距離に位置していました。それで、わたしには、子どもの本当の姿が見えないばかりでなく、子どもの声が聞こえなかったのです。人間不在の教育とは、まさにこのことをいうのでありましょう。それからのわたしは、なんとしても子どもに近寄りたいと願いました。それは、子どもと共に遊び、子どもと共に学び、子どもと喜怒哀楽を共にするという教師の生活態度を確立することに他ならないのです。

 やがて、わたしは、これまでに聞くことのできなかった子どもの声をかすかに聞き、全く見なかった子どもの姿をほのかに見ることができるようになると、一人一人の子どものかけがえのない命の尊さを知り、子どもたちへの新たな愛情が芽生えてくるのを覚えました。そして、これまでややもすると動揺したわたしの初志を定着させ、生涯この道を行くというわたしの人生の方向を不動のものとすることができるようになったのです。それは昭和五年(一九三〇)のころでした。

 子どもを理解することが教育の出発点だといわれますが、この言い易(やす)くして、実践の困難な教育の原理を、極めて平易に、具体的に教えてくれるのが良寛さんです。良寛さんこそ実に偉大な教育者だと言わねばなりません。良寛さんに救われ導かれたわ たしが、さらに良寛さんを求める意欲を湧(わ)きたたせるのは当然のことです。わたしは、良寛和尚に関する文献や資料を次から次へと探し求めたのです。……

著者略歴
植野明磧(本名・植野太郎)
1908年大阪府泉佐野市生まれ。27年、大阪府天王寺師範学校(現・大阪教育大)卒業。教職に就く。48年から勇退するまでの19年間、泉佐野市の公立小学校長兼併設幼稚園長を歴任。その間、30年から子どもらと喜怒哀楽を共にする教育者の道を良寛さんに求め、一方、中学時代から学んだ南画のうえに、36年から保田龍門画伯に師事して日本画を学ぶ。退職後は、良寛研究に専念。自宅を良寛画庵と名づけ、良寛さんの生涯を描く。90年11月死去。

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